(日本語) 街に漂う「本物」を大切にし、今よりもっと「金沢化」を!金沢のオーセンティシティを信じるクリエイター/株式会社VOICE代表取締役・宮川真也さん(前編)
「金沢のともだち」、お2人目は、金沢のブランディング会社 (株)VOICE 代表取締役の宮川 真也社長です。
実は、この旅音のブランドロゴ、旅猫、ホームページに至るまで、ブランドデザインをしてくれたのが、こちらのVOICEさん、宮川社長なのです。30才でVOICEを設立した想い、金沢で培われる美意識など、余すところなくお聞きしました!
(株)VOICE 会社ホームページはこちら https://www.brandvoice.jp/
≪前編:クリエイターにとっての金沢の価値を考える≫
金沢弁にショックを受けた宮川少年、ミュージシャンを志して東京へ・・・
旅音(以下T):いきなりですけど宮川さん、金沢弁あまり出ないですよね。イントネーションが標準語っぽいです。
宮川社長(以下M):転勤族だったんですよ、僕。もとは九州出身で、10代半ばに金沢へ来ました。引っ越してきた当初、金沢の方言っぷりがすごくショックで。「知っとるけ?」って普通に使われているのを聞いて「どんな田舎に来てしまったんだ?」と(笑)。
高校卒業後は東京行くって決めていました。だから、かたくなに金沢弁は使わないと決めていたんですよ。
ミュージシャンになりたくて、18才で上京しました。2年間住んで、いったん金沢帰ってきて。お金貯めてまた東京に行くつもりだったんです。
たまたま出会ったコピーライターという仕事にハマり、「業界を変えたくて」会社を設立。VOICEのミッションは、「クリエイターの地位を上げる」。
M:お金を貯めるために職を探していたら、たまたまコピーライターという仕事をさせていただける機会に恵まれました。でも、いざやってみると、できないのが悔しくて!(コピーライターに)はまって、25才で独立。30才の頃、区切りとして(株)VOICEを設立しました。
生意気なようですが、広告業界を変えたかったんです。業界の常識って、だいたい世間の非常識ですよね。良いものを求められていないかのような業界の仕組みを変えたかった。
例えば、広告業界には営業会社と制作会社とあって、制作会社は下請けになる。その関係の中で仕事をしていると「良いものを作る」「クリエイティブにこだわる」ということが、なかなかできない。
でも、それでは「良いものを作る」ということが、なかなかできない。
もともとコピーライターは「カッコいい」と思って始めた仕事です。でも業界構造は全然カッコ良くない。それを変えたくて、(株)VOICEを作りました。
業界構造を変えるために、僕は広告代理店や印刷会社を経由しないで直接クライアントと取引するチームを作りたかったんです。それを実現するためには、フリーランスの個人でやってるだけじゃだめ。コピーライター、デザイナー、アートディレクターの全員が、営業会社の方ではなくクライアントの方を向いて仕事をしなくちゃいけない。だから、法人という器を作って、同じ志をもったクリエイターがチームで仕事をできるようにしました。
クリエイターとして、金沢に拠点を置き続ける理由
T:東京を拠点にしても良さそうなお仕事ですが、金沢を拠点にし続けているのは何故ですか?
M:実は、僕らのお客さんって首都圏、大都市圏からの仕事が7〜8割なんです。売上構成とか、ネットワークだけを考えたらうちの会社がここ(金沢)にあることに何のメリットもないですよ。
お客さんからも、当然のように「なんで東京でやらないの?」って言われます。
そこは、僕らのプライドです。
金沢の会社が、これだけのパフォーマンスを発揮できるんだということを証明したい。
宮川さんのなかにある、『金沢』という背景
T:宮川さんが感じている「金沢」というものを、もう少し具体的に教えてもらえますか?
M: 少し話が逸れますけど、良いデザイナー、悪いデザイナーの違いは、自分のなかの基準が高いか低いかです。
東京の人たちは、「良い広告」を日常的に見ています。例えば電車に乗ったら中吊り広告が山ほどあって、良い広告、良いデザインをたくさん見ることができ、「これが広告デザインなんだ」という基準、前提ができていきます。
でも、地方にいるとどうしても目にするデザインのレベルが低くなってしまう。自然と養われていく基準が圧倒的に違う。ここを解消しないといけないって気がついたんです。
でも、金沢には良い広告は身近になかったかもしれないけど、文化やアート、クリエイティブなものはすぐそばにたくさんあるわけです。金沢21世紀美術館や鈴木大拙館に気軽に行ける街って、すごく良いじゃないですか。
僕らにとって、ああいう場所が身近にあるというのは、非常に大きい。
東京みたいに受動的に入っては来ないですが、能動的に取りにいけばラクに取れる。トレーニングができる場所です、金沢は。
大震災を境に、広告のbefore & afterが見えた
M:この10年くらいの間に、広告というのはどんどん変わってきています。
東日本大震災が、僕の転機の一つです。
あの大震災って、日本中の価値観が転換するタイミングだったと思うんです。
震災の2日後、どうしても東京に用事があって、行ったんですよ。その時、変な言い方ですけど、東京がものすごく「美しく」見えたんです。渋谷とか、明かりが消えて、ギラギラしてないんです。そこに美しさを感じてしまった。
浅ましさがないんですね。みんなが自制している。オレがオレが、がなく、共存している。
「これでいいじゃん」という空気が街にあふれていたんです。
だったら、僕らの仕事も「これでいいじゃん」って思ったんです。我欲の見える広告をつくるのは素敵じゃないなって。
広告制作会社なのに広告を提案しない会社になろう、とあの時よく話していました。お客さんに広告をさせないために、何をお手伝いするか、を観点にしようと決めて。
広告費に年間一千万円使っているクライアントがいたら、300万円しか使わないで済むにはどうすればいいだろう、と考えるようになりましたね。
それまでは、目立つ、インパクトのある広告が正しいと思っていました。
でも、世の中が変わっていくなかで「これもアレもいいですよ」「買ってください」と押し付けるようなやり方が、すごく気持ち悪くなってきたんです。
広告から、ブランディングへ
M:会社そのもの、商品そのもの、サービスそのものの魅力にフォーカスしたいなと思うようになりました。俗に言うブランディングになりますが、企業力、商品力、サービス力がしっかりしていれば、広告なんてやらなくてもいい。広告に頼らないとモノが売れないという常識を変えたい、と思うようになりました。
T:その転換によって、クライアントとの付き合いはどう変わりましたか?
M:お客さんが大きく変わったということはないんですが、面白いものやインパクトのある広告を作るVOICEという見られ方ではなく、ブランディングをきっちりやってくれるVOICE。あそこに頼めば会社の理念から一緒に考えてくれる、という評判が広がってきました。
クリエイターにとっての、金沢という価値
M:このようにVOICEが変化してきた時に、金沢というロケーションはクリエイターにとって非常に良い環境だなと、より強く思うようになったんです。
つまり、最先端の広告を勉強する必要はなくて。それよりも、何が本物で、何が正しいか、何が美しいか、を見極める目のほうが、VOICEのクリエイターにとっては非常に重要になりました。
金沢っていう地域は、本物がたくさんある街なんですね。本当に美しいものがたくさんある。
それに、トラディッショナルなものと新しいものを掛け合わせるのが、ものすごく上手な街なんです。
これって、僕の考えるクリエイターにとっては、ものすごくいい土壌なんですよ。それを日常生活で身につけられる環境。今は堂々と「クリエイターにとって金沢は最高ですよ」と言えます。
金沢に漂う「本物」 と、「本質を追求する仕事」が共鳴する
T:宮川さんにとっては、金沢の良さがそのまま仕事に活きる、ということでしょうか?
M:金沢の魅力を言葉で説明できる人は、そんなに多くないと思うんです。
城下町で、加賀百万石で・・・という枕詞をつけて説明はできますけど、金沢の魅力って、そんな簡単な言葉では説明できない。僕も言葉にできない。それくらい奥深いものなんだって感じています。
あえて言うなら「オーセンティック」。
金沢って非常にオーセンティシティのある街だなあと思います。
つまり、本物を見極める目がある、本物を大事にする、ということです。
でも、単に古いものを大切にするという意味合いともちょっと違うんですよね。古いものを大切にするだけなら、なぜ金沢21世紀美術館が金沢にあるのか。理屈では説明できない。
でも、金沢21世紀美術館も、新しいですけど、オーセンティックだと思います。
金沢が何かをセレクトしたという言い方をするなら、金沢は「21世紀美術館を選んだ」「鈴木大拙館を選択した」と言えます。
こういう目利き、審美眼がすごくいい。金沢は。
オーセンティックなもの、本物をちゃんと見極めることができる目がある。
本物であれば、新しいものと古いものを隣に置いてもすごくいい感じになります。だから、この街に金沢21世紀美術館が置かれても、何の違和感もない。むしろ、言葉には説明できないけど独自の文化圏が、さらに金沢21世紀美術館によってセットされた、という感じなんですよね。
でも、僕、核心をついた答えが見つけられたとは、まだ思えていないです。
金沢のオーセンティシティが支える、宮川さんの自負心
東京のコピーペーストが一番嫌いなんですよ。
金沢にもコピペしたような空間が、東茶屋街付近にもあります。
あれはいけないことだと思います。金沢の自負というものがない。金沢から生まれた必然みたいなものがあった方がいい。
インタビュー後編はこちら。