こみんぐるの想い

旅音の運営会社「こみんぐる」創業の想い

人の営む暮らしが、好きです

人の営む暮らしが、その空気感が好きです。

 

朝、犀川に映るキラキラした陽の光を横目に自転車を走らせる高校生。

 

昭和の頃から変わらない店構えで、季節ごとの上生菓子を

店先に並べる和菓子屋のおばあちゃん。

 

すぐ近くの公園まで手をつないでお散歩して、どんぐりや落ち葉を拾う

小さな子どもたちと保育士さん。

 

顔を真っ赤にして夜の片町を上機嫌で歩く、サラリーマンや大学生。

 

年中ほっこりとしたお出汁の香りとともに迎えてくれる、おでん屋さんのおばちゃん。

 

両手でも抱えきれないくらいの甘えびを、

「美味しいよ!」と満面の笑みで手渡してくれる近江町の魚屋さん。

 

そんな人々の息づかいを感じながら、私たちは金沢で過ごしています。

 

人が生きていて、日々暮らしていて、そうして季節がめぐっていく。

 

この当たり前の豊かさが、100年後も続いてほしいと願っています。

 

夫婦2人で起業したわけ ~金沢のためになることをしたい~

旅音の宿を運営する株式会社こみんぐるは、2016年5月に創業しました。

 

スタートは夫婦2人。

代表である妻の佳奈は、生まれも育ちも愛知県です。

物心ついたころから、「自分の人生を自分で決めていけるだけの力をつけたい」という目標がずっとありました。

自分を成長させるべく大学卒業後はリクルートに入社し、そこで営業として経験を積む生活の中

うっかり後の夫となる人物と出会ってしまいました。

 

その男は金沢出身の、生粋の金沢大好き人間。

就職を機に石川を出て東京や愛知で働いていましたが、いつか金沢に帰ろうと心に決めていました。

つきあい始めた佳奈を何度も金沢へ連れて行っては、おいしい食べ物で胃袋を掴むことに成功し

そんなこんなで2人は結婚することになりました。

 

夫・俊伍は当時学校の先生になりたかったのですが、石川県の教員採用試験に3年連続で落ち

金沢へ移住する計画はそのたびにお預けに。

そこで佳奈は思いました。

 

「結婚するってこういうことなんだ。相手の仕事の事情にも、自分の生活は影響されるんだ。

でも金沢に行くことはもう決めている。だったら私が金沢で会社をつくってしまえばいい!

そうすれば仕事だってあるし、自分で起業するならさらに成長するチャンスもあるはず」

 

かくして夫婦2人で起業したのです。

業種にこだわりはありませんでしたが、金沢を愛する俊伍には一つの思いがありました。

それは、

「やるなら、金沢のためになることをやりたい。金沢の人が喜んでくれることをやりたい。」

 

当時は北陸新幹線が開通して間もなく、旅行者向けの宿は金沢にまだまだ足りていませんでした。

佳奈も大学時代、ヨーロッパなどの海外に何度も一人旅をした経験があり、「宿業」をなんとなくイメージすることができました。

しかし、具体的な知識やノウハウは持っていない。

そこで宿の運営代行をしていた知人と契約し、まずはゲストハウスに住み込みで清掃などの業務を請け負うことから始めました。

 

ゲストとホストの垣根を越える ~ともだち業の原点~

そんな生活を始めて数か月で、2人の中には違和感が芽生えてきました。

 

来てくれたゲストには、金沢を好きになって帰ってもらいたい。

そう思って自分たちなりのおもてなしをしたかったけれど、

運営側のスタンスとはズレがあるように感じられました。

この違和感を持ったままでやり続けると、自分たちの目指す

「金沢のためになること」からは遠ざかってしまう気がしました。

 

実際に始めてみなければわからなかったことで、非常に悩みましたが

契約を解除して自分たちで運営もすべて始める決断をしました。

ただ、契約終了にあたってはいろいろなことがあり…

ゲストハウスにはお客さんが来るけれど、お給料は入らない時期が4か月ほどありました。

 

でもせっかく来てくれたお客さんには金沢を楽しんでもらいたいし、

できたら好きになってほしいから

ボランティアでゲストの接客をしていました。

 

大好きなお店を紹介し、誕生日を一緒に祝ったり、一緒にお酒を飲んだり。

大変な時期でしたが、この時間は楽しかったのです。

 

ゲストとホストというよりは、旅先で意気投合した仲間のような感覚でした。

この時期に宿泊に来てくれたゲストの半分くらいは、いまだに連絡を取り合っていて

逆に私たちがゲストの街に旅をしたときに、一緒にご飯を食べたり家に泊めてもらったりという交流が続いています。

 

これが、旅音の「ともだち業」の原点となりました。

 

金沢の歴史ある街並みを守る

起業していきなり、予想だにしていなかった事態に直面しましたが

あながち悪いことばかりでもありませんでした。

 

事情を知った別の知り合いが、自分たちで運営を始めてすぐのときに

半分人助けのような形で宿の運営代行の仕事を任せてくれたのです。

そこから人づてで、宿の運営代行の仕事が少しずつ増えていきました。

 

その最初期の宿の中に、今の旅音の宿ほとんどを占める一軒家タイプのものがありました。

町家の造りをそのまま残した宿は、海外旅行者からのニーズが高く順調に予約が増えました。

それを見て、金沢市内で町家や空き家を持っている方からのご相談も増えてきました。

このまま用途が無ければ取り壊されてしまう町家や空き家も、宿としてよみがえらせれば守ることができる。

金沢の歴史ある街並みを、残していくことができる。

自分達の目指す「金沢のためになること」に近づいているんじゃないか?

 

金沢の宿泊市場がここ数年で大きく変わり、すでに宿が余っている状態の今でも

私たちが宿業を続ける理由は、ここにあります。

 

100年後も家族で暮らしたい金沢を

誤解を恐れずに言うと、「金沢のためになること」ができるなら宿でなくても良いのです。

 

今までにも、実は宿以外に「金沢のために」と考えてやってみたことはたくさんあります。

お年寄りのための野菜市、金沢ツアー企画、年越しイベントや金沢よそもん会。

形になったもの、ならなかったもの、なりつつあるもの、様々です。

 

逆に、「やったら収益になるけれど断ったこと」もたくさんあります。

物件だけあっても、町内でどうしても反対された場合は宿としてオープンしません。

「金沢のためになること」をやりたいから、金沢の人が嫌がることはやらないと決めています。

金沢以外の場所で同じようなことをやりませんか?という話もお断りしています。

今の自分たちの力を考えると、やっぱりまず金沢に集中しないと、と思うからです。

 

北陸新幹線開通で観光客が増えてきた時期、流行に乗って「ザ・観光客向け」な事業を始めることもできたかもしれません。

東京にあるような、スタイリッシュに見えるものを金沢にもつくろうとすればできたのかもしれません。

でもそうすることで、金沢を「消費されるだけの観光地」にしたくありませんでした。

ブームが去った後に何も残らないような事業は、本当の意味で金沢のためになるとは思えませんでした。

 

「金沢」を「金沢」たらしめているのは、兼六園でも、のどぐろでもなく「人」です。

ずっと昔から営まれてきた人の暮らしそのものが金沢をつくっていると思っています。

それを自分の子どもや孫の代まで残したい。

100年後も家族で暮らしたい金沢を守る。

 

そこからブレることなく、今日もこみんぐるは自分たちにできることを模索しています。

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